3年前の私

 英語の教員になって今日まで、私は2年続けて同じ教材を使ったことがない。担当した学年が持ち上がりで、前年に使った教
材を続けて使うことはあるが、たとえ同じ学年を2年続けて担当しても、同じ教材だったことはない。まあ、現任校やその前の
学校のように、大きな学校であれば、教科書を初めとする教材を選定するときに、大抵の場合は「前の学年とは異なるもの」が
選定の条件の中に入っている。「2年続けて」には、生徒同士の教材の貸し借り、とか、ノートのこととか、考査問題の過去問
とか、避けられるものなら避けたいような問題が起こりかねない・・・というのが理由である。私たちの考え過ぎなのかもしれ
ないが、ほかによっぽど選択肢がない場合以外は、同じものは選ばない。

 必然的に、同じ教材を異なる学年の生徒に教える、という経験はなかった。まあ、強いて云えば、文法や構文の例文でよくあ
るもの(たとえば、no more ... thanのくじらの構文とか)を扱う以外は。

 同じ教材を2回使う経験がほとんどないのは、繰り返される「改訂」も影響している。たとえば、以前は本編の1課として扱
われていたものがRevised では削除されていたり、速読教材扱いにされていたり、タイトルと題材は同じだが、内容が一部書き
換えられていたり・・・。同じ教材を時を経て再び使う日が来るとは、今年までは全く思っていなかったのだ。

 今年、現任校に来て、2回目の3年を持っている。3年前に採択した教科書と同じ名前の教科書を、Reading で採択し、使っ
ている。しかしながら、Revised だし、全く同じじゃないし・・・と考えていた・・・がところがドッコイ、改訂前の教材がそ
のまま使われている課がいくつかあり、私は初めて「同じ教材を2度使う」経験をした。
 
 私は物持ちがイイ。3年前に作ったプリントを捨てずに持っていたぁぁぁ!!!1つオシかったのは、その当時保存媒体とし
て使っていたSMがオシャカになってしまっていたことだ。

 当初、私は3年前と同じプリントをそのまま使うのではなく、今年の生徒向けにプリントも Revised するつもりだった。が、
SMのせいで、デジタルファイルがない・・・急にメンドウクサクなった。が、シンソウはどうあれ、ココロの表層のイイワケ
は「大学入試のレベルが下がったわけじゃないんだから、あの当時の3年と同じレベルで授業に臨めヨ、今年の生徒たちヨ」っ
てトコロだ。

 3年前のプリント(主に内容理解のQ&A)を使いながら授業をして、新たな発見があった。「3年前の私ってスゴイィ!!
」・・・ホントに手前味噌だがよくできている。実は以前、一緒に組んでいた同僚が転勤し、新しい学校で旧版のその教科書を
使うことになったときに、「あなたが授業で使っていたプリント、よくできていたから送って」と言われたことがある。そのと
きは「そんなによくできていたかなあ、ないよりはマシ、ってことかな」と思いながら、送った。が、3年たって改めて自分で
使ってみて、「へえ、よくできてるじゃん!!」と、思わず、「3年前の私」を褒めてしまった。と、同時に、「今の私って、
もしかして退化している??」と感じたのも、言うまでもない。

 授業には、はっきりとした変化があった。それは、生徒の顔が「あがった」ことだ。その前の課までは、つまらなそうに下を
向いていた生徒が、黒板を見、私の問いかけに懸命に反応するようになった。「3年前の私ってスゴイィ!!」とますます思い
ながら授業を続けた。

 本当は、「3年前の私ってすばらしい」という手前味噌で、終わりたいが、実は授業が円滑に進んだことには、もっと他の理
由があるように思う。まず、第1に教科書の改訂を経て、なお生き残った教材である。もともと教材自体が優れていて、その力
が生徒をひっぱった、と考えられる。実際、残った教材の1つは小説、もう1つは論説文だったが、特に論説文の方は、個人的
に高校の教材の中でもっとも「読ませる」教材の1つだと思っているものだ。個人的な思い入れもあり、3年前の私が作ったプ
リントは、やはり力が入っていた。授業がおもしろく進むのも、気の利いたQを作れるのも、教材自体の力のなせる技なのでは
ないだろうか。

 第2に、授業中、「生徒の顔があがった」と感じたが、それは「私の顔もあがった」のではないか。手慣れた教材で、出来の
いいQを使って内容理解を確認する・・・自分自身に余裕が出てきて生徒の顔をしっかり見ながらクラス・マネージメントでき
る。だからうまくいくのだ。

 それでもやっぱり3年前に自分が作ったプリントを、自ら評価するという経験は貴重なものだった。時を経て、その最中では
なく、また違った目で自分の「作品」を見るのは、現在進行中の仕事にとっても有意義なことだ。

 今よりずっと若い頃、常に新しい教材、日々絶えることのない教材研究・・・という英語科の宿命を知った時、はっきり言っ
て目の前が真っ暗になった。同期の教員たちと、しみじみため息をついたことを思い出す。国語科には、定型の読み物教材(1
年 羅生門、2年 山月記 3年 舞姫)があって、高校生は今も昔もそれを読むらしいが、英語科にも、1年で読む小説はコ
レ、2年は評論でコレ、などと「定点観測」的な質のよい教材があるのもいいかな、とも思う。(こうやって書くと、オマエの
指導力のなさとナマケ癖を転化するな、という声が聞こえてきそうだが)

 さて、2学期がはじまる。

 期せずして、また3年前と同じ問題集を、受験対策用として何冊か使うこととなった。第一の理由は、今の生徒たちに適して
いるからだが、一緒に組んでいる同僚たちが「河本さんが3年前にやったヤツだと、いろいろ聞けてイイし。」と、言ってくれ
たのは、ちょっとウレシハズカシですね。そうです。物持ちがイイ私には、びっしり書き込みのあるテキストも、授業で使った
プリントも、復習用に使った小テストもあります!さあ、「3年前の私」に再び感動するのか、それとも幻滅するのか・・・こ
れいかに。

(2008年 8月)